古代エジプトにアメンパヌファという石工がいました
アメンパヌファはファラオの墓荒らしの罪で、紀元前1111年ごろ捕まり処刑されています
アメンパヌファの逮捕に続く拷問、自強の様子は記録として残されており、歴史上最古の裁判記録の一つとして注目されています
アメンパヌファとは
アメンパヌファはテーベ(現在のルクソール)付近の採掘場で働く石工でした
アメンパヌファは石工の側、7人の仲間とともに、ファラオのほとんどが埋葬されている「王家の谷」で次々と墓を荒らし、王のミイラとともに埋葬されている黄金や装飾品を奪った
横行していた墓荒らし
当時ファラオの墓を荒らしていたのは、アメンパヌファ一味だけではなく、他にも盗掘をするものが大勢にいた
王家の谷で雇われていた多くの職人が盗みに加担していた
特に、ラムセス9世の即位後、職人に給料が支払われなくなってからは、盗掘に加担するものが増えたと言われています
アメンパヌファの裁判記録
アメンパヌファは捕まる500年ほど前に王位についていていたセベクエムサフ二世の墓の盗掘を自供しています
アメンパヌファは、拷問により自強を強要され、盗掘の詳細を語りました
この記録はパピルスに記録され、19世紀に発見されています
アメンパヌファの処刑
アメンパヌファがどのようして処刑されたかの詳細は記録に残っていません
古代エジプトでは墓の盗掘は、神々に背く犯罪だと考えられいました
なので、墓の盗掘は特に重罪であるとみなされ、処刑は無情な形で行われるのが普通だったようです
後年、同じく墓の盗掘の罪に問われた別の罪人が、アメンパヌファたちの処刑を引き合いに出して「あの墓荒らしたたちに科された罰を見ました。あのようにして死んでいくのか」と述べて、当時の処刑が残酷であったことが伺えます
衰退へ向かうエジプト王朝
アメンパヌファは捕まり処刑される前にも、別の墓荒らしで捕まったことがあります
裁判の記録には、地元の役人に賄賂を渡して見逃してもらったことを明らかにしています
また、当時横行する墓荒らしの様子を役人の多くは喜んでみて見ぬふりをしていたようです
もしかしたら、賄賂が目当てでわざと見逃していたのかもしれません
王たちの墓を警護しきれない中央政府
盗掘が横行していたもう一つの理由としては、中央政府には墓を警護するだけの余裕がなかったことが考えられます
ラムセス9世の即位以前は、短命の王が続き、国力が衰退していた時期であります
そんな中、中央政府が何百にも散在する墓の警護に見切りをつけ、テーベ中央にミイラを移し、そこを警護したとも言われています
アメンパヌファの処刑から得られるもの
アメンパヌファは墓の盗掘の罪で処刑され、その記録は世界最古の裁判記録の一つとして大変貴重な資料です
また、きちんと職人たちに給料を払っていればここまで横行することもなかったかもしれません
衰退していくエジプト王朝を象徴する事件だったとも言えます
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