英雄になれなかった将軍 コリオラヌスを知っていますか
共和政ローマの時代に活躍したコリオラヌスはローマ軍に従軍し数々の功績を挙げ、ウォルスキ族との戦いでは、重要都市コリオリを攻略しています
この功績でコリオラヌスという名を与えられたとされいます
これだけの功績をあげておきながら、なぜ英雄になれなかったのでしょうか
コリオラヌスとは?
コリオラヌスは、ガイウス・マルキウス・コリオラヌスが正式な名称です
コリオラヌスは、古代ローマの貴族階級パトリキの出身です
幼い頃に父と死に別れ、以降母親に育てられます
この母親がコリオラヌスの運命に大きく影響します
コリオラヌスは、幼い頃から剣と共にし、疲れを知らぬ努力家と言われていました
コリオラヌスはその後ローマ軍に従軍し、レッギルス湖畔の戦いで名を上げます
この戦いで市民冠を与えられ、母はそれをたいそう喜んだそうで、コリオラヌスは更なる名誉へと駆り立てたとされます
その後、ウォルスキ族との戦いで重要都市コリオリを攻略し、コリオラヌスの名声はさらに高まります
コリオラヌスは執政官への立候補を行いますが、プレブス(平民)の人気が低く落選してしまいます
コリオラヌスは、屈辱を与えられたと考え、かつての敵ウォルスキ族へ寝返ります
ウォルスキ族に寝返ったコリオラヌスはかつての祖国を攻めますが、ローマは講和の使者にコリオラヌスの母親を同行させ説得させます
コリオラヌスは、母親の説得には逆らえず、軍を引きます。
その後、コリオラヌスは殺害され不遇の死を遂げます
コリオラヌスが平民に人気がなかったわけ
コリオラヌスが平民に人気がなかった理由は2つあると思います
1つ目 コリオラヌスの性格
コリオラヌスは、貴族出身であり平民が貴族と同じ権利を主張することをあまりよく思っていなかったようです
平民と貴族が対立した聖山事件などを横目で苦々しく見ていたようです
また、実力者であったコリオラヌスは、平等を唱える平民の考えには賛同できない立場をとっていました
2つ目 平民と貴族の対立
当時のローマではプレブス(平民)とパトリキ(貴族)が対立していました。
プレブスは高利貸しに苦しんでおり、パトリキと対立していました
この関係は、当時名声が最高まで達し執政官に立候補したコリオラヌスが、投票日に元老院達と一緒に来る姿を見て、プレブスはコリオラヌスがパトリキびいきであることを察し、執政官選挙からコリオラヌスを落選させてしまいます
コリオラヌスが英雄になれなかった原因
コリオラヌスが英雄になれなかった原因は、彼の性格にあると思います
それは平民嫌いではなく、彼がもともと持っていた頑固さだと思います
コリオラヌスは、頑固で妥協を知らない人物であっとされます
なので、平民に対し良い印象を持っていないコリオラヌスがその姿勢を一貫して買えなかったのはそのせいだと思います
執政官選挙に平民が参加するのであれば、その平民の支持が必要だと思いますが、貴族びいきとの印象を与えたのは、その辺の空気が読めなかったのだと思います
もう一つあるとしたら、想像力の欠如だと思います
前述の執政官選挙の件もそうですが、ウォルスキ族へ寝返りローマへ攻めた際に、彼は母に説得され軍を引きます
敵へ寝返る際、親族を残して行けば人質として使われる可能性は大いにあります
特に、コリオラヌスは母をとても大切にしていたため、母を盾に要求を突きつけられれば、窮地に陥ることは容易に想像ができます
そういう意味でコリオラヌスには想像力が欠如していたと考えられます
まとめ
コリオラヌスは、将軍としては一流だが、空気を読む力・先を見通す力は低かった
頑固で妥協知らない性格と、母親を大切にする姿勢は一貫しておりそれが仇になった