古代ギリシアで活躍した医学の父ヒッポクラテスを紹介します
ヒッポクラテスは、これまで信じられていた疾病が神からの罰という考え方から脱し、科学的に疾病を研究した人です
ヒッポクラテスの医学は、死後も長く引き継がれ、「ヒッポクラテスの誓い」は現代以後区の倫理規範として影響し続けています
ヒッポクラテスとは?
ヒッポクラテスは、医師としてこれまでの迷信や呪術に基づく医療から、臨床と観察に基づく科学的なものへと発展させたことがあります
また、医師の倫理観と客観性について論じた「ヒッポクラテスの誓い」は現在にも受け継がれています
名言には「人生は短く、術の道は長い」があります
ヒッポクラテスの生涯
ヒッポクラテスは、古代ギリシアのコス島に生まれました
コス島は今のトルコ沿岸近くに位置します
ヒッポクラテスの父も祖父も医師で、お医者さんの家系の人でした
ヒッポクラテスはアスクレピオス神殿で、病の治療や医学教育を受けました
ヒッポクラテスはコス島で医学学校を設立した後に、ギリシアの島々を周り治療者としての名声を確立します
『ヒッポクラテス全集』を書いたともされておりその中に「ヒッポクラテスの誓い」も含まれています
ヒッポクラテスは生涯に渡り医学を伝え、ギリシアの都市ラリッサで亡くなったとされますが、その年齢は80歳代〜100歳代までといろんな説があります
ヒッポクラテスの医学
ギリシアではこれまで疾病の原因は神からの罰にあると考えられて、その治療法には祈祷や生贄といった手法が一般的でした
ヒッポクラテスは疾病の原因は自然にあると考え、食事を変えたり薬を使ったりすることにより治療が可能であると考えました
またヒッポクラテスの一派はコス派と呼ばれていましたが同時期にクドニス派という一派がありがライバル関係のようなものだったと言えます
クドニス派が診断を重視し、病気をよく観察して原因を探し治療をしたのに対し、ヒッポクラテスは、予後(将来どうなるのかという予測)を診断以上に重視して、効果的な治療法により成果をあげました
クドニス派の診察は、まだ生理学などが十分発達しておらず誤診が多かったともされました
ヒッポクラテスは、食事や季節などによる環境の乱れにより、体を構成する4つの体液の調和が乱されそれが疾病の原因であると考えました(四体液説)
体液に乱れを調和することにより、疾病が治るという考え方により病気は常に一つであると考えていましたが、両方とも現代医学では否定されています。
ヒッポクラテスの誓い
ヒッポクラテスの功績に医師の倫理観について書かれた「ヒッポクラテスの誓い」があります
この誓いには医師のあるべき姿として次のようなことが書かれています
- 患者のプライバシーを尊重すること
- 適切な治療を行うこと
- 患者と性的に不適切な関係を持たないこと
- 学んだことを他の弟子と共有すること
などが書かれており、現代も医師を志す者が倫理規範として誓っています
害をなすな
ヒッポクラテスの教えの中に「知りながら害をなすな」という一説があります
治療は最良のものを行い、害を及ぼす治療は行わないことという意味です
これは後世「良いことをするか、できなければ少なくとも悪いことをするな」という解釈になり消極的診療として批判の対象になりました
この考え方は、医学の分野にとどまらずピータードラッカーによっても引用され
顧客からの依頼を成果が上がらないとわかりながら引き受けるのは倫理に反するため、役に立たないをわかる依頼からは手を引くべきだといっています
ヒッポクラテスまとめ
ヒッポクラテスは医学を科学的なものに引き上げた医学史上重要な人物です
ヒッポクラテスの誓いは、医師の倫理観につて述べられており、一部は医学の分野以外にも影響しています