【歴史】ギリシアからインドまでを駆け抜けたアレクサンドロス大王

【歴史】ギリシアからインドまでを駆け抜けたアレクサンドロス大王

ギリシアからインドまでを駆け抜けたアレクサンドロス大王がいました

アレクサンドロス大王についてはアレクサンドロス3世として歴史の授業で聞いたことがあるかもしれません。またゲームのキャラクターとしても登場したり、アレクサンドロス大王に由来する都市や名前は現在でも多くの人に愛されています

アレクサンドロス大王はどんな人?

アレクサンドロス大王は22歳でマケドニア王となり、その後隣国の強国アケメネス朝ペルシアを破りエジプトを制し、果てはインドに至るまでの地域を制しました

この地域は、当時のギリシアが認識している「全世界」にあたり、世界征服を成し遂げっといっても過言ではない人でした

アレクサンドロス大王は、33歳でこの世を去りますので王の在位間はほとんど征服に費やされた人であると言えます

若き日のアレクサンドロスはアリストテレスから教えを受けました - Wikipediaより

アレクサンドロス大王の歴史的の評価

ある歴史家が、「征服しない敵とは関わりを持たず、奪わない都市は包囲せず、支配下に置かない国には侵攻しなかった」と評価しています

アレクサンドロス大王が征服した主な相手には

  • アテネ・テーベ連合
  • アケメネス朝ペルシア
  • エジプト
  • インド
  • その他諸国家

が挙げられます

これらの国家間では、文化や思想が異なりますが、アレクサンドロス大王はこれらの異文化や思想・宗教には寛容であり、それが当時の全世界に相当する地域を征服できた要因とも考えられます

東西の文化が交流する中で生まれたヘレニズム文化

当時のギリシア、小アジア付近においての文化はオリエント文化と呼ばれていました

アレクサンドロス大王が、このオリエント文化圏からインドまでを征服したことにより東西文化の交流が発生しました。その結果生まれたのがヘレニズム文化です

アレクサンドロス大王は、ペルシアの文化の興味を持ちペルシアの習慣を多く取り込もうとしました。また、多くの兵士にペルシア人女性との結婚を勧め、合同結婚式を行ったりしました

また、ペルシア人を積極的に登用する等ペルシアを重視したため、他の者からの反発を招きました

アレクサンドロス大王の若すぎる死

アレクサンドロス大王は33歳でバビロンで死去します

死亡の原因には諸説あり、蜂に刺され高熱を出して死んだ、てんかん、毒を盛られた、マラリアなど諸説あり定かではありません。1998年には腸チフスという説もある研究チームが発表しています

アレクサンドロス大王の死後は、ミイラにされた後に、大王の名前に因んでつけられたエジプトのアレクサンドリアに移され、その後何世紀も公開されていたとされています

アレクサンドロス大王の雑学

愛馬ブケパロス

アレクサンドロス大王がまだ王子の時代に連れてこられたのがブケパロスです。この馬は気性が荒く誰も乗りこなせなかったのですが、アレクサンドロス大王が見事に乗りこなしたことから、乗馬が得意とされています。この様子を見た父フィリッポス2世は関心とともに恐怖したとのことです

よく見る絵ですがこの馬がブケパロスです - Wikipediaより

強かったのは大王とその軍隊

アレクサンドロス大王の軍隊はとにかく強かった

これまでのファランクス(重装歩兵)を改良し、軽量化しました。具体的には重装たるゆえんの盾を廃止し、槍を延伸する等して攻撃に重点を置きました。

伝統的なファラクス -  Wikipediaより

また、アレクサンドロス大王はこれらの部隊で戦う際、相手の特徴に応じて兵種を変えることを行いました。例えば、一撃離脱戦法を得意とするスキタイ族との戦いにおいては、ファランクスではなく、投槍騎兵と軽装砲兵を組み合わせる等、部隊構成を相手に応じて変えるなどの対策を取りました

戦術かとしてのアレクサンドロス大王は後世、ハンニバルやユリウス・カエサル、ナポレオンなども高く評価しており、その一流の戦術化に率いられた、よく錬成された軍隊が弱いわけがありませんでした

アレクサンドロス大王の好敵手ダレイオス3世

アケメネス朝ペルシアを率いたダレイオス3世とは数度と対決をしております

強大な国家であったペルシアの大軍をアレクサンドロス大王とその軍隊は幾度と破りますが、アレクサンドロス軍4万7千人の軍隊が20万人とも30万人ともいわれたペルシア軍を破ったガウガメラの戦いで戦いは決定的となります

その後ダレイオス3世は、部下によって暗殺されますが、その後暗殺した部下が捕らえられアレクサンドロス大王の下へ連れてこられた際、アレクサンドロス大王は暗殺者を処刑しました

その他、ダレイオス3世の娘を嫁にしている等、ダレイオス3世に対する一定の敬意があったと考えられます

また、ゲームFateでも二人は「イスカンダル」「ダレイオス3世」として描かれ、ダレイオス3世の夢はイスカンダル(アレクサンドロス大王)との再戦となっており、この二人が好敵手として描かれています

アレクサンドロス大王まとめ

  • 当時の世界と考えられていた地域をわずか10年で征服した戦いの天才
  • 自分が敵として認めたものを相手とし、好敵手には敬意を持って向き合った
  • 歴史上の人物からも英雄として認められ、今なお世界で愛されている
  • 当時文化を交流させた

いかがでしたでしょうか

人生を一気に駆け抜けたといった感じで、漫画や小説のモデルになるような生き方でしたね

その分、ロマンも多いのかもしれませんね

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