【歴史】アケメネス朝ペルシア建国者 名君 キュロス大王

【歴史】アケメネス朝ペルシア建国者 名君 キュロス大王

アケメネス朝ペルシア初代王 キュロス大王を紹介します

キュロス大王はキュロス2世とも言われています

ペルシアとは今のイランに当たる地域を中心とした国家です

キュロス大王とはどんな人?

キュロス大王 Wikipediaより

当時、オリエントの大国メディア従属する小国ペルシア王国の王子としてカンビュセス1世の子として生まれました

キュロス大王は、オリエントの4大大国と言われた、メディアリディア、新バビロニア、エジプトのうちエジプトを除く3国を平定し、アケメネス朝ペルシアを作った人です

アケメネス朝ペルシアはその後も拡大を続け、西はトルコのボスポラス海峡から東はヒマラヤ山脈までの広大な地域を支配しました

キュロス大王は宗教に寛大で名君とされています

キュロス大王の評価

キュロス大王の統治した国土の広さは、当時ではこれまでにない広さの国でしたので、これを20の州にわけ、それぞれに総督や太守を意味するサラトップを置いて統治しました

このサラトップは、メディアが使用していた制度をそのまま引き継いだ形になります

また、キュロス大王は宗教に関しては寛大であったと言われています

これまで、紹介してきた国家は認めた宗教以外を認めない傾向にありました

宗教の違いによる考え方の違いが支配に邪魔だったんだろうと思います

例えば、新バビロニアによるバビロン捕囚は、反旗を翻したユダ王国に侵攻したものですが、その際ユダの拠り所となっていたユダヤの神殿などは破壊されています

キュロス大王は、バビロニアを征服した際、強制移住させられていたユダヤ人たちに祖国に帰ることを許しています

キュロス大王がバビロニアを征服したのは、バビロン捕囚を行ったネブカドネザル2世の2代後の

ナボニドゥスの時代でした

その他、リディアを征服した際には王のクロイソスを処刑しようとしたが、神のお告げがあったとして処刑しなかったばかりか、参謀的な役割として仕えることになります

このことから、キュロス大王は異なる文化や思想に寛大だったと考えられます

また、キュロス大王は旧約聖書にも登場します

キュロス大王の影響

キュロス大王の次の王、カンビュセス2世の時代にアケメネス朝ペルシアはエジプトを攻略し、オリエントの4大国を平定してます

その後の、アケメネス朝ペルシアはギリシア都市国家との戦いに明け暮れ、アレクサンドロス大王に征服されるまで続きます

キュロス大王の死後に執筆された『キュロスの教育』は第3代アメリカ大統領トマス・ジェファーソンの愛読書でもあったと言われています

イランにおいては、1971年にアケメネス朝建国2500年を記念して、キュロス歴がしようされ、イラン革命が起きる1979年まで使用されました

キュロス大王のまとめ

キュロス大王はアケメネス朝ペルシアを建国し、トルコからヒマラヤまでの広い地域を支配しました

宗教に対しては寛大で、バビロン捕囚で強制移住させられていたユダヤ人を解放しました

キュロス大王は、後世においても人気がある人物です

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