ウィンストン・チャーチル

歴史

歴史シリーズの第1回目として第2次世界大戦においてイギリスを勝利に導いたチャーチルについて説明します。

シャム隊長
シャム隊長

今回はイギリスのチャーチルについて説明するね

経  歴

  • ウィンストン・レナード・スペンサー=チャーチル(1874-1956)
  • イギリスの政治家、軍人、作家、歴史家。
  • 公爵家の三男を父に持ち、アイルランドで幼少期を過ごす。
  • ローハー校、陸軍士官学校を経て騎兵将校になるも、1899年に除隊。
  • 新聞記者を経て政治家に転身。
  • 以後、各大臣を歴任、第二次大戦の1940年、イギリス首相に就任、終戦まで国家を率いた。
  • 戦後、下野した時期に『第二次世界大戦史』全6巻を執筆、1953年にはノーベル文学賞が授けられた。
  • 首相を80歳で引退してからも、政治家として活動。画家としても才能を発揮した。
  • 1965年1月24日死去。

誕  生

チャーチルが生まれたの1874年でヴィクトリア女王の時代でした。当時の英国は、世界の覇権を握りまさに絶頂の時代でしたが、今後イギリスが衰退する入り口にあったとも言えます。

チャーチルは、オックスフォードの近くにある、ウッドストックという土地に広がるブレナム宮殿(Blenheim Palece)で生まれました。

豪華宮殿

チャーチルの祖先に、初代マールバラ公爵ジョン・チャーチルがいます。ジョンはスペイン継承戦争中のブレナムの戦い(1704年)に総司令官としてフランスに勝利し、その功績によりウッドストくに建設中だったブレナム宮殿を下賜されました。子孫には、チャーチルの他、ダイアナ妃がいます。

こぶた班長
こぶた班長

チャーチルは名家の出身なんだね

両  親

父親はランドルフ・チャーチルでマールバラ公爵家の三男でし。当時のイギリスでは、長子相続制のため財産も特になく、そんな中の長男として誕生したチャーチルは、常に貧乏暮らしをせねばならず、晩年に至るまで家計は火の車だったようです。なので、彼は総理大臣になってからも、講演に出かけ、文筆をして稼ぐ必要があったのです。

母親はアメリカ人のジャネット・ジェロームで、ジャネットの父親は、投機家のレナード・ジェロームです。当初この結婚は、ランドルフの父親が身分が違うため反対していましたが、ジェローム家がお金持ちであることから了承しました。

真ん中がお母さん 左が弟右がチャーチル

二人の間長男として生まれたのが、ウィンストンで、母親の父レナードからミドルネームをもらって、ウィンストン・レナードと名付けられました。

シャム隊長
シャム隊長

貴族といっても、長男以外は生活が苦しかったんだね。

幼少期

チャーチルの幼少期は、勉強ができないことで有名でした。

チャーチルは、1883年にパブリックスクールのローハー校に入学しますが、成績は最下位が多く、特に数学は苦手、ラテン語に至っては手をつけない始末でした。

勉強ができなさそうには見えない

ただ、国語(英語)と歴史は好きであったほか、作文や水泳、乗馬には関心がありました。

当時ローハー校にはサンドハースト王立陸軍学校への進学を目指す「軍人コース」があり、劣等生は大抵ここに進み、チャーチルもサンドハースト王立陸軍士官学校を目指しますが、2度不合格となり、予備校を経て三度目の正直で入学しました。

また、海軍への道もありましたが、陸軍よりも成績がよくないと入れなかったため、成績の悪かったチャーチルは入れず、終生海軍にコンプレックスを持っていたようです。

こぶた班長
こぶた班長

歴史的に有名な人なので秀才なのかと思ったけど、なんかイメージと違うね

サンドハースト王立陸軍士官学校時代

チャーチルは、成績が良くなかったため、父が希望した歩兵科の士官候補生にはなれず、騎兵科の士官候補生となりました。騎兵科は馬などの費用がかかるため、あまり人気がありませんでした。

この頃から、父の家計は苦しくなっており、十分な仕送りを受けられないチャーチルは、馬のことで借金をする等苦労をしていたようです。

そんな中、1894年に士官学校を卒業し、軽騎兵第4連隊に配属されました。

シャム隊長
シャム隊長

馬は自分で買う必要があったんだね。

軍人時代

軍人時代にチャーチルは、キューバとインド、スーダンに行きますが、キューバに行く際は、休暇をとった上で、スペイン政府に協力する形をとっています。

キューバでは、葉巻と昼寝の習慣を身につけたと言われている他、デイリー・グラフィック紙との特派員契約をしており、特派員として戦地に赴くことがいい小遣い稼ぎになると知った。

平穏なインドでは、チャーチルは多くの読書をする時間を得てた。唯一の実戦はパシュトゥーン人の反乱鎮圧だったが、しばしば独断で無謀な行動に出たため、やがて帰隊されられた。

この時の体験談を処女作として発表し好評を得たため、小説を書いたがこちらも評判が良く、かなりの収入となった。

スーダン侵攻においては自らが参加した、オムダーマンの戦いをまとめて執筆した。

こぶた班長
こぶた班長

今だったら、休職して他の職業をするような感じなのかな。トレードマークの葉巻はこの時期に身についたんだね。

新聞記者時代

チャーチルは軍人になって早々に、いずれ戦争はなくなるので、自分の生涯の仕事ではないと感がていた。1899年には軍を除隊した。騎兵将校は経費がかかるのと、軍人時代の経験から文筆で生計を立てることにある程度の自信があったようです。

軍を除隊し選挙に出るものの落選し、当時勃発した第2次ボーア戦争に従軍記者として南アフリカへ向かいます。チャーチルはボーア人の捕虜となりますが、収容所を脱走し、ポルトガル領モザンビークのイギリス領事館に辿り着きました。

この間、チャーチルの収容所脱走は生死不明のまま報道されており、生存の判明の影響は大きく、チャーチルの名が一気に有名になりました。

こぶた班長
こぶた班長

従軍記者は命懸けだね。でも生きて帰って来れてよかったね。

議員としてのチャーチル

除隊直後には立候補した選挙では落選したものの、ボーア戦争で捕虜収容所からの脱出で有名となったチャーチルは1900年に2度目の選挙を経験し、26歳の若さで当選を果たします。

わ、若い・・・

1908年に33歳の若さで、アスキス内閣商務大臣を勤めたのをはじめに内務大臣、海軍大臣を経験します。

その後、第1時世界大戦のガリポリの戦いの責任を取らされる形で左遷されます。チャーチルは内閣を去り、西部戦線に従軍します。

だんだん見慣れた感じになってきた

第1次世界戦後、チャーチルは再び大臣を経験しますが、程なく世界恐慌の時代になります。ドイツで台頭してきたヒトラーをチャーチルは危険な存在として訴えますが、当時はソ連の共産主義がより危険視され、結果としてナチス・ドイツとの宥和を選択したイギリスは、第2次世界大戦を招いてしまいます。

シャム隊長
シャム隊長

チャーチルはいち早くヒトラーとナチス・ドイツの危険性に気付いていたんだね。

戦時下の総理大臣

チャーチルは、チェンバレンのあとを受ける形で、総理大臣になり、第1次内閣を組閣しました。大陸ではフランスが敗北し、いつドイツ軍が上陸してくるのか状況において、空襲や、Uボートの通商破壊によって、イギリスは建国以来の危機に晒されていたと言っても過言ではない状況でした。そんな中、チャーチルは国民にメッセージを送り続け、鼓舞し終戦まで戦い抜きます。

この間、教科書にも出てくる、カイロ会談、テヘラン会談、ヤルタ会談、大西洋憲章などに関わります。

よく教科書に載っているやつですね

1944年ナチス・ドイツが降伏し、ヨーロッパでの戦争は終結に向かいます。チャーチルは日本との戦争終結までの戦いを主張しますが、ヨーロッパでの終戦の後の選挙を望む国内の声もあり、総選挙を行いますが、チャーチルのいる保守党は労働党に大差で負け、チャーチルは総理大臣を辞し、第1次内閣は終わります。

こぶた班長
こぶた班長

第1次内閣は戦時内閣とも言われ、戦争が終わったら総選挙をするという約束だったみたいだよ。

戦  後

チャーチルは、社会主義、共産主義の危険性を訴える一方で、『第2次世界大戦』を出版し、ベストセラーとなりました。後年、チャーチルはノーベル文学賞を受賞しています。チャーチルはノーベル平和賞を望んでいたので、この受賞には失望したと言われています。また国家元首で文学賞を受賞したのはチャーチル1人です。

その後1951、年第2次中東戦争の失敗を背景に総選挙で勝利し、77歳で再び総理大臣となり、第2次内閣を組閣します。また、イギリス皇室よりガーター勲章(イングランドの最高勲章)を受賞しています。ただ、高齢となったチャーチルは耳が遠くなるなど総理大臣としての職務は難しいと思われ、閣僚のマクミランの進言を受け入れ、その職を辞した。

シャム隊長
シャム隊長

恒例のチャーチルは何かを取り止めもなくしゃべるということも多くなり、もうそろそろやめてもらわなければという意見も多かったみたいだよ。

晩  年

1963年チャートチルはアメリカ連邦議会から「アメリカ合衆国名誉市民」の称号を受けています。

1965年1月24日に家族看取られながら、死去します。1月24日は父ランドルフの命日と同じ日でした。

チャーチルの遺体はブレナム宮殿の近くブラドンのセント・マーティン教会墓地に葬られており、ここはチャーチルの両親が葬られた墓地であり、チャーチルも両親の墓の近くで眠っています。

こぶた班長
こぶた班長

チャーチルが政治家を志したのには父親の影響があったからと言われているよ。そのおとうさんといっしょの日に亡くなったんだね。

チャーチルの名がついた物

チャーチル歩兵戦車(英・ソ)

A22「チャーチル」歩兵戦車は1939(昭和14)年、第2次世界大戦の勃発とともに開発が始まった戦車です。採用までに様々な問題があったものの、改良を加えることで乗り越えました。その際、同車は優秀だから生産を最優先せよと指示を出したのが、時のイギリス首相チャーチルだったため、その後押しへの感謝を示す意味合いから、技術者たちがA22歩兵戦車に「チャーチル」という愛称を付けたといわれています。

プラモデルですが何か?
シャム隊長
シャム隊長

チャーチル戦車は歩兵戦車と言われ頑丈だったようだよ。またドイツと戦うソ連に対し供与もされたよ。

ウィンストン・S・チャーチル(🇺🇸ミサイル駆逐艦)

ウィンストン・S・チャーチル (英語: USS Winston S. Churchill, DDG-81) は、アメリカ海軍のミサイル駆逐艦。アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦の31番艦。艦名はイギリスの首相ウィンストン・チャーチルにちなんでいます。

こぶた班長
こぶた班長

アメリカの軍艦だけどイギリスの首相の名前をつけたんだね。

チャーチル級原子力潜水艦(英)

チャーチル級原子力潜水艦 (Churchill class submarines) は、イギリス海軍の攻撃型原子力潜水艦。1番艦はイギリスの首相および海軍大臣をつとめたウィンストン・チャーチルにちなんで命名されました。

シャム隊長
シャム隊長

今は全部退役したよ

ペンハリガン ブレナムブーケ

英国オックスフォードシャーにあるマルボロ公爵の邸宅、ブレナム宮殿にインスピレーションを得て誕生したペンハリガンを代表するロングセラーフレグランス。シトラスが爽やかに香る若々しいヘッドノートから、針葉樹と森の香りが広がるウッディーで落ち着いた香りへ。エレガントで清潔感のあるブレナム ブーケは、時代を超えて紳士たちに愛されてきた男性用フレグランスの名作。控えめでありながら完璧な気品をかもしだし、どんなシーンにも美しく調和します。チャーチルが愛用したとも言われています。

くまンモも愛用しています
こぶた班長
こぶた班長

僕も大きくなったら付けてみようかな

シャム隊長
シャム隊長

チャーチルは多くの名言を残しているよ。機会があったら紹介していくね

こぶた班長
こぶた班長

最後まで読んでいただきありがとうございました!

  • 参考させていただきました
    • チャーチル名言録 中西輝政著 扶桑社
    • ウィキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/ウィンストン・チャーチル
    • ペンハリガン公式サイト https://www.latelierdesparfums.jp/brands/penhaligons

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