【歴史】暴君?新バビロニア王ネブカドネザル二世

【歴史】暴君?新バビロニア王ネブカドネザル二世

今回は歴史シリーズ初のバビロニアです

歴史の授業で「ユダヤ人のバビロン捕囚」を聞いたことがあるかも知れません

当時の私は、「捕囚」を「補修」と思っており、バビロンの何かを修繕するために大量のユダヤ人が駆り出されたんだなーと思っていたぐらいでした

ネブカドネザル二世の功績

  • 旧約聖書に悪人として登場し、その行いからユダヤ人の反感を買っている人
  • 古代土木技術の偉業とされる「バビロンの空中庭園」を造ったと考えられている人

ネブカドネザル二世とは

ネブカドネザル二世
User Hedning on sv.wikipedia – Anton Nyström, Allmän kulturhistoria eller det mänskliga lifvet i dess utveckling, bd 2 (1901), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1311723による

ネブカドネザル二世は新バビロニア建国者ナボポパッサルの子です

ナボポパッサルの死去に伴い、王位を引き継ぎバビロニア王となりました

バビロニア帝国の北方に強大なメディア国が展開していたため、メディア国王の娘アミュティスとの政略結婚が成立し、両国の友好関係が築かれます

その後は、勢力拡大に乗り出し、アッシリア帝国の領域からエジプトを除くほとんどの地域を勢力界に置きました

また、土木建築にも力を注ぎ「バビロンの空中庭園」を造った人と考えられています

ユダヤ人のバビロン捕囚とは

バビロン捕囚については大きく2回行われています

第1回バビロン捕囚

ネブカドネザル二世即位後、征服していたシリア地方の諸王国の各地で反乱の火の手があがりました

ネブカドネザル二世はすぐにこれらの反乱に対処し、エルサレムを紀元前597年に占領し、ユダ王国を属国としました。

この時、ユダ王エホヤキンを首都バビロンに連行しました

第2回バビロン捕囚

紀元前589年にエジプトがイスラエルへ侵入したのに呼応して、ユダ王国が再び反乱を起こします

これに対し、ネブカドネザル二世は再びエルサレムを包囲し、翌年エルサレムは陥落しました

この時に神殿とエルサレムは徹底的に破壊され、ユダ王国は属州として併合されました

この間に捉えられた多くの捕虜が首都バビロンへ連行されました

ユダヤ人の楽観論

当初捕囚としてバビロンに移住されられたユダヤ人は、建設事業に従事させられます

捕囚たちは、バビロニアが滅ぶとの予言もあり、程なくイスラエルへ帰れると思っていたようです

しかし、第2回バビロン捕囚のきっかけとなったエルサレムと神殿の破壊は、すぐに帰れるという幻想を打ち砕きました

旧約聖書におけるバビロン捕囚に関する記述

このバビロン捕囚については旧約聖書にも記述があります

エレミア書ダニエル書です

エレミア書は、神ヤハウェに従わないイスラエルが国民がバビロニアによって滅ぼされることをエレミアが予言する内容となっています

ダニエル書は捕囚の民の一人として連行され、のちにその賢明さからネブカドネザル二世に重用されたダニエルの記録書となっています

建築熱心なネブカドネザル二世

広大な地域を征服したネブカドネザル二世は妻絵の贈り物として「バビロンの空中庭園」を造らせたと考えられています

ファン・ヘームスケルク – http://www.plinia.net/wonders/gardens/hgpix1.html, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=65909による

この空中庭園は「世界七不思議」の一つでもあります

空中庭園は、階段上に幾層もの庭園があり、人口の灌漑施設が敷かれていました

現在は地震の被害を受けて残っていませんが、イラクの首都バクダッドの南部にあったものと考えられています

この空中庭園を造らせた理由は、メディア王国出身の妻が祖国の庭園や森を懐かしがっていたためだと言う伝説があります

ネブカドネザル二世の晩年

旧約聖書の記述によると、からの晩年は正気を失っていたと言うことがほのめかされています

人間の世界から追放され、牛のように草を食らい、体は露に濡れ、その毛は鷲のようになり、その爪は鳥の爪のようになったと書かれています

ネブカドネザル二世とは

自らの治世において反乱を繰り返す、ユダ王国を2度征服し、その度にユダの民をバビロンに移住させ、建築等に従事させました

ただし、ユダの民を全員奴隷としたわけではなく、ダニエルのように重臣として重用された者もいました

また、空中庭園のように今もなお伝わる建築物を残しているところからも、単なる暴君ではなかったといえます

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